ウンマ(イスラーム共同体)が誕生した七世紀初頭のアラビア半島は、ササン朝ペルシアとビザンテイン帝国の二大強国にはさまれた権力の空自地帯であった。この状況を利用してメディナに共同体の基礎を確立したアラブのイスラーム教徒は、まもなく二帝国の領域内に侵入を開始し、650年までに東はイランから西は北アフリカのキレナイカ、北はタウルス山脈に至る広大な領域がメディナ政権の下に組み込まれた。征服によるウンマの拡大によってカリフ権力は強大化し、その下で安全な交通網が整備されるようになると、やがて各地の都市を結ぶ一大経済圏が形成されていった。活発な通商活動は都市の発達を促し、この経済力を基礎にムスリム商人たちはインド、東南アジア、中国、アフリカ大陸、ヨーロッパ、ロシアヘと進出を開始する。

政治的にみれば、二度の内乱を経験しながらも、ウマイヤ朝(661-750年)の末期に至るまでは、ウンマの統一はかろうじて保たれていた。しかし革命運動によってアッバース朝が成立すると、アンダルシアには後ウマイヤ朝(756-1031年)が興り、続いてアッバース朝の帝国内部でも独立の小王朝が次々と樹立されていった。例えば、イランのホラーサーン地方には人二一年にターヒル朝が興り、またエジプトでは八六八年にトゥールーン朝が独立、次いで八七五年にはマーワラーンナフルにサーマーン朝が成立した。

こうしてウンマは分裂し、イスラーム世界は事実上これらの王朝(ダウラ)によって支配されるところとなった。支配領域の縮小はアッバース朝カリフの威信の低下をもたらし、さらに九世紀初頭にはじまるマムルーク(奴隷)軍人の台頭もカリフ権力を弱体化させる要因であった。政治世界への軍人の進出は必然的に官僚の勢力を抑える結果を招いたから、10世紀に入るとイスラーム世界の全体で国家の軍事体制化が著しく進んだ。これを決定的にしたのが、ブワイフ朝によるバグダードの攻略(946年)である。カリフの軍隊は解体され、国家は圧倒的な軍事力を持つ王権の支配にゆだねられた。しかしブワイフ朝の場合にも、また次のセルジューク朝(1038-1194年)の場合にも、これらの王権によって広大なイスラーム世界を統一することはもはや不可能であった。後に十字軍の侵入を許し、さらにモンゴル軍の征服を容易にしたのは、このようなウンマの分裂によるところが大きいといえるであろう。

諸民族の交流

イスラームの旗の下に結集したアラブ民族は、短期間のうちに古代オリエント世界にほぼ相当する広大な領域をその支配下に収めた。彼らは一時的な征服者であったのではなく、各地の軍営都市(ミスル)にはそれぞれ家族を伴って移住したから、帝国の全域にわたってイスラーム化と同時に、混血と言語の同化によるアラブ化がしだいに進行した。アラブ人のなかには商人として東西貿易に乗り出す者もあれば、また学者として法学や伝承学で身を立てる者もあったが、ウマイヤ朝の末期に至るまでは軍事と行政の両権限を独占してアラブ人優位の体制を保持していた。

しかしアッバース朝が成立すると、軍隊の主力はアラブ戦士からホラーサーン軍へと変わり、さらに九世紀以降はトルコ人を中心とするマムルークがこれにとって代わったのである。中央アジアで遊牧生活を送っていたトルコ人は、10世紀に入ると集団で西方への移住を開始し、やがてイスラームに改宗して熱心な信仰戦士(ガーズィー)となる者の数が増大した。彼らの一部族であったカルルク族が最初のトルコ人王朝であるカラ・ハーン朝(840-1212年)を建設したのに続いて、11世紀にはセルジューク族がイランからシリアに至る広大な地域を領有し、次いでアナトリアに進出したトルコ族はオスマン朝(1299-1922年)を興してョーロッパ世界に深刻な脅威を与えた。奴隷軍人として採用されたトルコ人の活躍も目覚ましく、インドに奴隷王朝(1206-90年)を樹立する一方、ェジプトにマムルーク朝(1250-1517年)を興してカイロに華やかな文化の興隆期をもたらした。

アッバース朝時代に書記(カーティブ)として官僚層の中核をなしたイラン人は、イスラームを受容した後においてもなおイラン文化の伝統に対する誇りを失わなかった。7世紀半ばから約2世紀の間はアラビア語が行政。学術用語として用いられたが、10世紀には早くも近世ペルシア語が復活し、やがてサファヴィー朝(1501-1736年)時代に開花するイラン民族主義の基礎がしだいに固められていった。イラン人は特に文学と行政の分野でイスラーム文化の形成に寄与し、詩人のフィルドゥースィー(1025年没)や政治家のラシード・アッデイーン(1318年没)など数多くの人材を輩出した。モンゴルの征服に伴う破壊活動は多くのムスリムを恐慌状態に陥れたが、彼らはイラン、イラクにイル・ハーン朝(1258-1253年)を建国すると、まもなく改宗してイスラーム文明に同化していった。10世紀以降のイスラーム世界には、これ以外にも数多くの民族が移住や侵入をくり返しつつ各地に独立の王朝を建設した。しかし、これらの民族がやがてイスラームを受容し、それぞれの民族に固有なイスラーム文明を生み出していったことは、西アジアにおける歴史的展開の特質ともいえるものであろう。