イスラームal-Isrlamとは、預言者ムハンマド(632年設)によって創始された一神教である。ジャーヒリーヤ(無明)時代と呼ばれるイスラーム以前のアラビア半島は、石像や聖木を崇拝するアニミズム的な多神教の世界であった。
交易と巡礼の中心であるメッカにも、最高神(アッラー)をはじめとする三百余の偶像が祀られていたという。もっとも、当時のアラビアからシリアヘかけての地域には、ユダヤ教徒やキリスト教徒も数多く住んでいたので、ムハンマドは彼らとの通商や身近な一神教徒(ハニーフ)との接触を通じて、早くから一神教の観念を知っていたものと思われる。
神の使徒であることを自覚した後のムハンマドは、アッラーが神々の中の最高神ではなく、唯一絶対の創造神であることを強調したが、一方では、アラブ社会に伝統的なジン(霊鬼)の存在を認め、またメッカ巡礼の慣行を残すことも忘れなかった。新しい思想と教義がこのような古い伝統と共存しているところに、後に民衆のイスラーム化を促す重要な契機がひそんでいたといえる。
ムハンマドは610年から約22年間にわたって断続的に神の啓示を授けられた。その集成が聖典『コーラン』である。イスラームの教えによれば、ムハンマド自身はこれらの啓示を人びとに伝える「神の使徒」にすぎなかったが、モーゼやイエスなどの預言者の系列の中では、最後にして、最高の預言者であるとされる。しかも『旧約聖書』や『新約聖書』がさまざまな伝承の集成であるのに対して、『コーラン』は啓示として下された神の言葉そのものである。したがって『コーラン』を読誦し、その教えに従うことは、すなわち神の存在を信じ、これに帰依することに他ならなかった。
また『コーラン』は神の言葉であるから、これをアラビア語以外の言語に翻訳することはできないのが原則であった。そのため、すべてのムスリム(イスラーム教徒)は、初等教育の段階からアラビア語で記された『コーラン』の暗誦に取り組むことを義務づけられた。このことはその後のイスラーム文化の発展にはかり知れないほど大きな影響力を及ぼすことになる。
なぜなら、キリスト教やゾロアスター教の聖典が翻訳可能であったが故にやがて外来の文化と同化していったのに対して、イスラーム文化はギリシア文明やイラン文明と接触した後においても、これを公用語であるアラビア語によって摂取することができたからである。
現代のイスラーム世界は、西アジアを中心に東はインドネシアから西はアフリカ大陸の西岸にまで及んでいる。さまざまな地域文化の伝統が存在する広大な世界にあって、なおイスラーム文化の伝統が維持されてきたのは、信仰の核心に『コーラン』とアラビア語が常に存在し、またアッラーヘの信仰や礼拝、断食などの実行を定めた六信五行の普遍的な規範がつくられたことによるといえるであろう。